浅間縄文ミュージアム
本日2件目の博物館は、同じ長野県ではあるものの山を大きく越えた先の浅間山の麓に位置する長野県北佐久郡御代田町の浅間縄文ミュージアム。途中、観光地として有名な清里を通過するが博物館は閉館時間が早いので途中下車は無し、ここも次回改めて訪問する予定に入れる。高速道路でビューンではなく、一般道の山越えの道なので距離の割に時間がかかる。無計画旅の2日目後半、前日の高速道路渋滞からの移動の繰り返しで、ちょっと運転疲れが出るが気合いを入れ直す。地図で場所を確認する。真ん中の赤いマーカーが浅間縄文ミュージアム。ここからほぼ真北に浅間山が位置している。タイトル画像が浅間山を南麓から見上げた写真である。縄文人もここから見上げていたのか、当時はまだ頻繁に噴火していたとしたら、そりゃあ恐れを抱くだろうな。
井戸尻考古館からの距離はちょうど90Kmだった、この距離を2時間弱で走り抜けた。平均時速45Km/hなので、一般道としては優秀な部類。12時50分に井戸尻考古館を出発し、浅間縄文ミュージアムに到着したのが14時45分、途中寄り道していたら閉館時間までに到着したかどうかはわからない。博物館巡りは開館時間が短いのが難点だ、事前の入念な計画が必要なんだと悟った次第。
このミュージアムも展示には力を入れているようで、入り口から凝った作りを見ることが出来る。竪穴住居跡が地面に再現されており、ガラス越しにミュージアムのフロアから覗き込むことが出来るようになっている。これも写真撮り忘れているので、再訪決定だ(笑) また、このミュージアムでは竪穴住居以外にも、浅間山麓を中心とした縄文文化が見られ、縄文土器も豊富に出土しているようだ。
焼町(やけまち)土器。「縄文中期4500年前。焼町土器は浅間山麓から中信地方、群馬県にかけて分布する土器である。その派手な装飾にはメガネ状の突起・曲線・多数の点などの抽象的な文様がつけられている。それらの記号には、縄文人のどのようなメッセージが隠されているのだろうか。実用品でないとの疑問もあがるが、内面には煮炊きの際の焦げつきがみられる。」–浅間縄文ミュージアムによる解説より–
阿玉台式土器。この土器は、底が抜けたため炉の枠として再利用されていたらしい。このミュージアムの縄文土器の展示も釈迦堂遺跡博物館と同様に裏側が見られるような展示方法となっており、これが最近のトレンドかもしれないと思った。縄文土器はその紋様に特徴があることから、全周が目視出来るのは素晴らしいことだと思う。無計画旅の2日目も終わり、翌日は3連休の最終日。もちろん宿も予約していない、人気の軽井沢でリーズナブルな宿の空室も期待できない、軽井沢から東京はそう遠くはないので、これから出発しても夜には到着出来るはず。さてどうするか、悩ましい。
最終更新日: 2024年11月20日


